私の両親と姉妹

ここまで書いていて、うちの両親は厳しくなかったのか?と疑問を抱いてしまいます。

私もこれが他者のブログなら「親は何したんだ!」と突っ込んでしまいます。

 

そんなことはなく我が家はルールがあり周りと比べて厳しい家でした。門限もありそれをいつも鬱陶しく感じていました。

 

三姉妹の真ん中の私はいつも反抗していて姉と妹とは違う、という勝手な競争心がありました。

姉や妹は学生の本分は勉強、といった真面目一直線タイプでした。

 

そんな姉妹がイヤで、不良の友達と一緒にいるときに電車で見かけると知らないふりをしてしまったこともあります。

今では大好きで頼りにしている存在なのに昔の私は本当に薄っぺらいです。

 

医療従事者の両親はいつも優しくそして厳しく「よそはよそ、うちはうち」というスタンスで居てくれました。

反抗的な私は自分をいかに悲劇的にみせ同情を引き、友達と勉強、といって彼や男友達の家に泊まったりしていました。

そうさせることが成長段階のうちで必要なんだと母を説得するのが上手かったと思います。

サザエさんのカツオみたいと言われたこともありました。

 

でも基本は真面目で気弱なのでどこか後ろめたい気持ちは常にありました。

校則の厳しかった高校だったので、髪を染めているわ携帯を持っている、などと何度も母が呼び出しをされました。

みんなしていることなのに私はウソを突き通せず結果周りに迷惑をかけまくってしまっていました。

 

病気に関しては母は『てんかん』についてあまり知識はなかったようです。

医者からも特別扱いはせず普段通りでよいと言われていました。

ただ脳の病気だけど珍しいものではなく内服治療さえきちんとしていれば大丈夫、くらいだったと思います。

 

父はだいぶ解っていたようですが、私には病気について殆ど話してきませんでした。

ちゃんと寝なきゃダメだぞ、とかその程度でした。

 

我が家は母はデリカシーがあまりなく、良くも悪くも大らかでした。

いつもキラキラ笑顔で綺麗で自慢の母でした。

父は繊細でロマンチストでユーモアに溢れていました。

頭の回転が恐ろしいほどに早くいつまでも若い感性を持とうと母と月に2.3回は映画観賞をするしお笑いにも詳しいです。でもものすごく厳しくて怖い存在でした。

 

発作のことを詳しく教えてくれる母とは対照的に父は、「ちょっと倒れる程度だよ。頭打たないように気をつけないといけないから前兆があればいいのにな。」と言っていました。

病気の説明は受けていた様な気もしますが私もそんな重く受け止めていませんでした。

もしかしたら、私が傷つくかもしれない、と気遣っていてくれていたのかもしれません。

 

父と母で病気に関する温度差があるのは土地柄だったのかもしれないと最近気づきました。

母は転勤族育ち、父は田舎の地元に根付いて育っているのでそのようなズレが出てもしょうがないのかな、と大人の今となっては理解することは出来ます。